どうも、新田です。
「負け犬根性」
これは「ルサンチマン」と訳されます。
ニーチェの言葉です。
ルサンチマンとは、調べるとこうあります。
弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、
「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。
そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという
「価値の転倒」のこと。Wikipediaより
弱い自分は「善」であり、強者は「悪」である・・・。
世の中を見ていると、その構図が伺えます。
政治批判、プロ市民的活動、権力への反発・・・。
しかしどうして、自分を「弱者である」と決めつけてしまうのでしょうか?
政治はシステムにすぎません。
もちろん無能な政治家の判断や行動の遅さには呆れるものがありますが、
普通に暮らしている分には、別に気にするほどのことでもありません。
文句があるなら立候補するなど変える行動を取ればいいわけで、
それをしないなら任せておく他ありません。
生活が苦しいのは政治家のせいだ!! と
市民活動のデモが盛んに行われますが、最終的に軍隊が出てくると
もう抵抗のしようがない。
独裁政治ならともかく、変えたいならやはり通常の手続きを踏んだほうが良さそうです。
自分がやりたくないなら誰かを祭り上げましょう。
わざわざ「弱者」になり、声を上げるよりマシな選択肢があります。
音楽アーティストの尾崎豊は、学校を自由を束縛する場所だと批判する歌を
作って共感を呼び、ヒットしました。
しかしこれも、死ぬほど嫌なら学校をやめてしまえばいいわけです。
彼の歌は好きですが、「弱者」にならず、もっと変えようとすれば
良かったのでは? とも思います。
複雑な事情が絡んでいて難しいのかもしれませんけど。
僕もたしかに高校に入学したとき、髪型は刈り上げが強制で、
めっちゃ嫌でした。
始業式の前日など泣きそうになってました。
しかしそれも最初だけで、入ってからはロン毛にするな、くらいのもので、
普通に伸ばしていました。
それほど強制が強いわけでもなかったのです。
ただ同級生には、やはり卒業文集に「自由がほしい」と
綴った人がいました。
親や学校にいろいろ嫌なことを強制されたんだと思います。
「なにを嫌と感じるか」は、人それぞれあるということです。
さらにいえば。
多くの人は「負け犬根性」を出すことすらなく、
おとなしくいうことを聞く「ヒツジ」です。
(僕も「自分の大事」を優先し、それ以外は大人しく
従っているのでそのひとりではあります)
自分に危害が加わらない限り、大人しくしている。
文句があっても抵抗すらしない。
漫画「ヒミズ」1巻より
僕の場合、正直学校も政治もどうてもよかった。
「僕の興味に関係なかった」
からです。
僕はただゲームが作りたかった。
そのための必要性として学校に行き、サラリーマンをしてお金を稼ぎ、ビジネスを始めました。
しかし多くの人は、特に「これだ」という興味もなく、
「自分のしたいこと」もわからず、どこかに就職せねば、
という環境だったのではないでしょうか?
しかし僕もサラリーマンをしてわかったのですが、
「とにかく不満がある」
のです。
人間関係の不満、
お金が十分にもらえない不満、
仕事がきついという不満(サビ残当たり前、会社に寝泊まりもした)、
上司がパワハラをしてくるという不満。
そして途中で強烈に自分を刺し貫いたのが、
自分の人生なのに自由時間がほぼ土日だけという不満、
自分の好きなことが自由にできないという不満
です。
こんな、好きなこともできない人生なら、
いったい自分はなんのために生まれてきたのか?
と疑問に思わざるを得ませんでした。
自由になるには、土日だけで趣味でゲームを作り、ヒットさせるという
わずかな希望しかないわけです。
サラリーマンは人の会社に勤め、お金を貰う代わりに時間を提供します。
時間=人生ですから、人生を切り売りしているわけです。
1日8時間、自分の人生を他人のために使っているわけです。
「食うためなんだからしょーがねーじゃん」
という人もいます。
まあ、僕もそう思っていました。
ゲームを作れれば会社に勤め続けるのもいいし、
それが普通の人の一生なのだろうと思っていまいた。
同僚たちとの仕事は楽しかったですし、
割といい給与(当時はそう思っていた)ももらっていました。
なんとなく、人生とはこういうものだと思っていたのです。
お金についても、なにもわかっていませんでした。
会社を作れるのは無謀にも大きな借金をするようなギャンブラーか、
親がお金を持っているボンボンだけだと思っていました。
当時は有限会社でも資本金300万円、株式会社だと1000万円の資本金が
必要だったと思います。
(途中で1円で起業できるようになりましたが)
貯金なんてろくにできてませんでしたから、
そんなお金、どうしたって貯まる見込みがなかったのです。
さらに言えばどうやって会社で収益を上げるのか、さっぱりわかっていませんでした。
(とある本を読んで、お金持ちになるセオリーがわかり、自分でもできると知って
衝撃を受けたのですが、それはほかの記事にありますので見てください)
人は、自分が生きていて楽しい、
生きる意味がある、と思える人生でなければ、
なんとなく生きている、
生きるのがつらい状態になると思います。
生きているのが楽しい、生きる意味があるのは「希望」があるからです。
僕はゲームを作ってヒットさせれば自由になれるという「希望」が、わずかですがありました。
その希望が、起業によって一気に広がりました。
僕は起業してビジネスに成功し、週末の土日だけでなく
24時間365日、ゲームを作れるようになりましたし、
研究を深めることでヒットの可能性を格段に高めることができました。
それ以外にも曜日に関係なく旅行をしたり、いろいろな起業家と
交流をして人生の豊かさを上げることができました。
仲間の起業家とモルジブ旅行に行ったときの様子
なんとなく生きている、(貧乏等で)生きるのがつらい状態は、
チャレンジすれば怪我をするリスクがあるだけなのでチャレンジしませんし、
リスクを避けていたほうが余計な心配をする必要がありません。
多くの人は、この状態なのではないかと思います。
だから、「負け犬」か「おとなしいヒツジ」なのです。
でもみんな、
「人生を楽しくしたいし、意味のあるものにしたいし、高いレベルで生きたい」
と、こころの中では思ったことがあるはずです。
両親が生んでくれて、いろいろ、楽しいこともつらいこともあったけど、
やっぱり自分に価値があると思いたい。
生まれてきたからには、自分を価値あるものにしたい。
そして人生を価値あるものにしたい。
素敵な人に出会って、愛し合って、結婚をして、
子供を作って、幸せな人生を送りたい。
自分も愛されていいし、愛していいんだって、思いたい。
その人に、世の中に、受け入れてもらいたい。
でもそれが「できそうもない」「自分には関係なさそう」と思ってしまっている。
「大きな力」-それが政治なのか、法律なのか、運命なのかわかりませんが-
に勝てないと思っている。
僕は多くの人に、「意味のある人生を送って欲しい」と思っているし、
目標を持った人生を送って欲しいと思います。
そのための手助けができればと思っています。
ただなんとなく生きて、縮こまっているだけで、おどおどとリスクを避け続ける・・・
そんな人生に、とうてい満足できているとは思えないからです。
誰しも、人生を大きく花開かせる可能性を持ってると、僕は思っています。
「ベルセルク」より
目標があれば、その人はその目標を達成したとき、自分が欲しい物を手に入れられます。
目標がない人はなにかを達成することはありません。
だから僕は人生になんでもいいから目標が必要だと思う派です。
なんでもいいんです。
ただ短絡的に「毎月月収100万円になりたい」でもいいんです。
目指すものさえあれば、毎日の活動理由になりますから。
チャレンジにも意味ができるし、リスクを取る必要も出てくる。
チャレンジも、リスクを取ることも、人を成長させます。
成長すれば、自分に対して自信が持てるようになり、自己肯定感が上がります。
すると人生そのものに意欲が増して、充実してきます。
自分の生きたいように生きる。
そう思うことがまず大事です。
そこを諦めたら、もう老後と同じです。
何歳でも遅くありません。
カーネルサンダースは、68歳でKFCを創業し、世界チェーンを作り、
日本にも来日し、90歳まで生きました。
その間の人生の充実具合は、押して測るべくもないと思います。
人生には、もっと可能性があります。
結婚は人生の墓場とよく言いますが、子供が生まれても
起業してお金がちゃんと回っていれば、人生は自分のものです。
自分に使える時間がたっぷりあるからです。
一度しかない人生、どちらを選ぶか。
貧乏なままの安定か、
起業しての自由か。
僕はもちろん、ビジネスを起こして、
あなたらしい人生を送ることをおすすめします。
最後に、僕が好きな言葉を贈ります。
あなたがしたいことを、どんどんしなさい!
ほかのことをしてはいけない。
もうあまり時間はない。
生活のためにしたくもないことをして、
人生の時間を無駄にしようなどと、どうして考えるのか?
そんな人生が何だというのか?
そんなのは生きているのではなく、死んでいるのだ。
あなたが
「しかし、しかし・・・
わたしには扶養しなければならない者がある・・・
食べさせなければならない子供がいる・・・
わたしを頼っている配偶者がいる・・・」
と言うなら答えよう。
人生は身体がしていることだと主張するなら、
あなたはどうしてこの世に生を受けたのか理解していない。
少なくとも楽しいことをしなさい。
それなら、あなたが何者であるのかを語ることになるから。
神との対話① 第12章より
それではまた次回!