どうも、ゲームを作ったりビジネスを作ったりしている新田です。
最近はライフワークにできそうなゲームの構想がまとまったので、パーリンノイズの実験などをして研究しています。
このゲームは早い段階で一般公開しながら作っていこうと思っています。
公開のときはお知らせしますね。
■多くの人がお金に対して抱いている思いと結論
いきなりですが、あなたはお金が欲しくないですか?
ぶしつけな質問ですみません(笑)。
資本主義に生きている人は、ほとんどが潜在的に金持ちになりたいと思っていると思います。
単純にお金があると自由が増えるからです。
時間の自由。
買うものの自由。
行けるところの自由。
仕事の自由。
人生において、自由が多いほうがいいに決まっています。
しかし反面、こんな思いもあると思います。
「金持ちになんてなれない」
「稼ぎ方がわからない」
「金なんか稼いだら世間から変な目で見られる」
「単純にお金のためになにかやるなんてめんどい」
「ZOZOの前澤社長をフォローするなんて欲しがっているみたいで恥ずかしい」
そして、認知的不協和的に、こんな思いに至ります。
「お金なんかなくても幸せ」
「毎日生活できるだけお金があればいい」
しかしこれは「自分の現状に妥協」しているのであり、「ちょっと痛みを我慢していれば安定していられる」と、自分を自分で納得させているにすぎません。
人が真に自由に生きようと思うなら、自分らしく生きようと思うなら、お金に縛られず、毎日、自分がチャレンジしたいことに取り組めたほうがいいと思うはずなのです。
もちろん、社会的に真の自由なんてものはないかも知れません。
それでも、嫌な仕事をイヤイヤやったり、通いたくもない会社に毎日強制的に通わされたり、一緒に仕事をしたくない人と毎日顔を合わせたりはしたくないはずです。
それくらいは選べたほうが、毎日が今よりは楽しくなるはずです。
■ひもじさを感じる月収とは?
僕は月収で900万円以上もらっていた頃があります。
そこで得られるのは、一番は安心でした。
お金がないときは、
「今日はのり弁で大丈夫かな」
「食事一食抜いたほうがいいかな」
「給料日までお金がないからS君に貸してもらうか…」
など、ひもじい思いをしてましたし、会社をやめさせられたら困るので、上司からパワハラなことをされても、なにも言えませんでした。
貯金なんてもちろんできませんし、病気をして休むことも評価が下がるのではないかと不安でした。
毎日が真綿で首を絞められているような気分でしたし、機械のように働かないといけない状態でした。
今は、20代の人は年収が300万円を超えることがなく、200~250万円の間で推移しているそうです。
そうなると、月収は20万円ほどということになります。
僕はひもじい思いをしている当時、そんな月収でしたので、20代のだいたいの人が僕と同じような思いなのではと思います。実家住みならまだちょっと余裕があるとは思いますが。
これは、豊かな生活と言えるのでしょうか?
僕はとてもそうは思えませんし、ただただ国の労働力になっているだけだと思います。
オンラインでビジネスを始め、月収が100万円を越えてからは、とても楽になりました。
会社をやめ、面倒な人間関係から脱出し、仕事を選び、自宅で仕事ができるようになり、「ストレスフリー」になりました。
平日晴れた日には、好きな時間に散歩に出て、非常にすがすがしく、自由で、爽快な気分です。
今はそういう日常で、モチベーションを上げるの手順が必要になりましたが(笑)、これが平常であるべきだと思っています。
■低コストガス抜き社会
僕は日本の社会構造に文句を言うつもりはありませんが、年収の中央値が300万円台になっているということは、「日本はひもじい国」なんだと思います。
かつてのバブルの頃のような栄華はありませんし、人々は生活することに戦々恐々として、ストレスの高い生活をしているのだと思います。
ただ、セーフティネットによって餓死することはありませんし、働けなければ生活保護がありますし、フリーミアムやサブスクリプションのエンタメによって、「お金がなくても暇は潰せる」状態になっています。
お金はなくて苦しいが、無料やちょっとのお金でガス抜きをしてどうにか毎日を過ごしている・・・そんな状態です。
これは、人にとって健全な状態と言えるのでしょうか?
■自由は○○と引き換えに手に入る
ということで、フラットに考えると今は「サラリーマンでいるとひもじい時代」です。
だから「オンラインで稼ぐ」という流れが生まれ、今はSNSという手段、noteやudemyなどのウェブサービスによる決済で、個人でもビジネスができる流れになったんだと思います。
逆に言うと、ほんとうに自分のしたいことをしたいなら、サラリーマンにしがみつくのではなく、「オンラインで稼ぐ」ことに取り組んだほうが、よりよい人生になると思います。
しかしひとつ言うなら、
「自由は安定と引き換えに手に入る」
ということです。
自由には責任が伴いますから、安定がなくなります。
安定が保証されると依存が生まれ、自由はなくなります。
自分で稼ぐ力を身に着け、自由を手に入れるには、「不安定」に慣れることが必要です。
しかしそれも経過です。
「自分の翼」で飛べるようになってしまえば、不安定さの不安は、「素晴らしい自由の大きさ」にかき消されてしまいますから。