死の行軍の中、なぜ僕は死ななかったか

どうも、新田です。

僕は東北の秋田で生まれました。

家は食堂の自営業で、365日厨房に出て、
万年貧乏、親は年がら年中仕事に追われていました。

といっても、田舎の生活などどこへ行っても
ほとんどの人が貧乏みたいなものです。

いい会社に勤めている親がいれば多少は裕福な人もいたと思いますが、
中高で知り合った同級生の9割がたは普通に貧乏でした。

友達のY君などは、2LDKの平屋の家に4人家族で暮らしていて、
家の出入り口が居間の軒先でした。

でもそれが普通でした。

貧乏・貧乏・貧乏

 

経済力は、社会人になっても似たようなものでした。

初任給は20万、手取りで18万円くらいです。

池袋の近くの椎名町の6万円のボロアパートに住み、
給料日前はお金がなくなりました。

そのときは毎度、優しすぎる同僚のS君に借りていました。
(彼も同じくらいの給料でした)

毎日、帰り道にある自営業の弁当屋で、
夕飯に290円ののり弁当を買って帰っていました。

弁当屋のオヤジが、
毎日一番安いのを買っていくのをかわいそうと思ったのか、
ゲソ揚げをのりの上にオマケしてくれました。

それを見たときは弁当屋のオヤジの優しさに
泣きそうになりました。

 

正直、こんな生活では貯金なんてありえませんし、
ペーペーの新卒ですから、会社にどんなきつい仕事を振られても
食らいついていくしかありません。

デスマーチ

 

仕事がデスマーチ(遅れに遅れて残業・泊まりが当たり前の状態)に入り、
休みが半年なかったときもありました。

180連勤です。

このときは憔悴しきって、精神的にもおかしくなってました。

「この生活が今後もずっと続くのだろうか?」

「これが続くのなら、自分の人生になんの意味があるんだろうか?」

と、絶望にも似た諦めを感じました。

 

しかし「明けない夜はない」もので、開発はどうにか終わり、
解放され、どうにか普通の精神状態に戻りました。

ただこの苦労があったことで、その後のきつい仕事にも耐える
精神力がついたと思います。

人はどんなときに死のうと思うのか

 

人間、「この先も痛みしかない」と思ってしまうと、
「死」が頭によぎるようになります。

「死にたい」という人は、
「この先、この状態で生きててもいいことはない」
思っているから、死んだほうが生きてるより楽だと
思ってしまう。

僕の知り合いにも、30すぎまで職歴なしの男、
10年親元で引きこもりのニート、
精神病で親元でずっと暮らしている女性等がいます。

かれらは自分の社会的意義を感じられず、
「死んだほうがマシ」と、よく言っています。

 

そして彼らのような落ち込んでいる人たちだけでなく、
普通に社会人をしている人でも、「死にたい」と
思っている人はけっこういます。

それは、過去につらいことがあり、それが日々自分を苦しめているからです。

過去の出来事が原因で、日々がつらい、日々がむなしい、
なぜ生きなければいけないのか? と思わせている。

そして「この先今とずっと同じかそれ以下で、いいことがなさそう」と
思っている。

死なない人が持っているもの=目標

 

では、「そうではない人」は、
どういう意味を感じて日々を過ごしているのでしょうか?

 

それは「目標に向かっている意味」です。

 

「夜と霧」という本があります。

第二次世界大戦のドイツで強制収容所に入れられたある男の話が書かれた本です。

男は、家族をバラバラにされ、収容所にいれられ、不衛生で、ろくな食事も出ず、
大きな本棚のようなところにろくな服もなく詰め込まれて寝させられ、
朝から晩まで過酷な労働を強いられました。

この絶望の中、人々はどんどん自殺していきました。

著者の本人も、いつ自殺しようかと考えていた。

しかしその男の友達は、強い生きる意志を持っており、
自分も自殺したいと思っていたので、なぜそんなにも生きる気持ちが
強いのかと聞きました。

すると男は・・・

「妻にまだ会えるかもしれないからだ」

と言ったそうです。

 

「目標なんかいらない」という人がいます。

それも自由なのですが、ひとついうならば、
「目標なんかいらない」という彼らは、
何かを達成することがありません。

なぜなら目標がないゆえに、
積み上げるものもないからです。

 

なんでもいいんです。

目標を持つことです。

それも運ではなく、自分の力で着実に積み上げられるもの。

憧れの誰かに会いたいとか、お金をためて海外旅行に行くとか、
好きな推しにプレゼントするとか、
格闘技を習うとか、ウェブデザインができるようになるとか、
筋トレしてモテるようになるとか、
1日30キロ走るとか、なんでもいいんです。

いろんなスキルがありますが、ほぼ学習や練習で身につけられます。

 

スキルは武器になります。

一生ものの武器になります。

スキルがあることで食うに困らなくなります。

そして、常に目標に向けてどうしたらいいかを
考えるようになるので、「死にたい」みたいなことを
考えずに済むようになります。

人はヒマだとろくなことを考えません。

目標に向かって忙しくしていれば、スキルはつくし、
変なことを考えずに済むし、いいことづくしです。

「でも、ほんとうにやりたいことじゃなければやりたくない」

わかります。

そう言う考えもありますね。

もちろん僕だって、やりたくないことをずっと続けることはできません。

やりたいことを見つける

 

「やりたいこと」というのは、

「それをやると自分が気持ちよい、夢中になれる、意義があると思えること」

です。

それを自分でわかっている人もいれば、わかっていない人もいます。

ただ、その時間で人生を埋めることができれば、最高ですよね?

それがわからないという人には、「やりたいこと」を見つける2つの方法があります。

 

1・過去を探ってみること

2・いろいろなことを試してみること

 

です。

 

過去を探ってみる

 

たいていの「やりたいこと」は、

「10代のときに夢中になったこと」

の中にあります。

僕は10代のときにゲームに夢中になり、ゲーム制作をしたいと思うようになり、
それが受験のときに選ぶ学校を決め、専門学校に行くことを決め、
行く会社を決め、起業を決め・・・というふうに、自分のいろいろな進路の
判断材料になりました。

10代のほかの友達はそれほどゲームにハマらず、
単なる遊び、趣味で終わっていましたが、なぜか僕はこの「ゲーム」という
分野に異様な執着があって、大人になってからも興味がとどまることを知りません。

あなたにも、10代にめちゃくちゃハマったものがあるかもしれません。

それか、その作業をしていると全然疲れない、疲れるけど気持ちいい、
時間を忘れて取り組める、もしくはめちゃくちゃ集中できる、みたいな
ことがあるかもしれません。

それを過去を振り返って思い出してみてください。

その際、どんな小さなことでもいい、執着できたことを見逃さないことです。

「こんなことお金にならんよな」ってことでも、無視しないでください。

多くの人は、無意識に「はずかしい」とか「これは役に立たない」と判断して
リストアップから外す傾向にあります。

思いついたら、書く。

それでやってください。

そこに判断はいりません。

めっちゃくちゃエロいことでも常識外れでも、「書かない」のは
なしです。

「アイドルのうなじの写真を集めるのに興奮した」

とかそんなのでもいいんです。

いちいち判断するからあなたの本当に得意な分野がぼやけてしまう。

そうしてリストアップした「あなたが集中できること」を
書き出して、それを組み合わせたりしてコンテンツにできないか
考えてください。

いろいろなことを試してみる

 

過去を探ってみることと同時にしてみてほしいのが、
「いろいろなことを試してみること」です。

「自分がしたいことがわからない」のは、「試行数」が
単純に足りないのが理由かもしれません。

「試行数」というのは、あなたが世の中にあるいろいろな
ことにチャレンジした数のことを言います。

世の中には、「人ができること」がたくさんありますし、
実際それを「仕事にしている」人、「趣味にしている人」も
大勢いいます。

例えばスポーツ。

例えば仕事。

例えば趣味。

これらはもう無数にあります。

それをいくら試してみたか? ということです。

僕は元来、幼稚園児のころからインドアでしたが、
学校の体育の時間には野球もサッカーもバスケットも
やりました。

あとは学校で理科の実験や絵画、歴史を学んだり
数学に取り組んだり、国語で小説に触れたりもしました。

その中で、絵画が好きでしたし、マンガを自発的に
描いて、仲間と一緒にマンガを書いたりしていました。

パソコンに小学3年生からハマり、ファミコンが出てからは
どういうゲームを作るかをノートに溜め込み、
「アドベンチャーブック」と言われる、選択肢を選んで
ストーリーを進めてゴールに向かうノートを作ったり
していました。

このころから僕のクリエイティブ好きはもう明確でした。

高校のときは学校のパソコンでベーシックと呼ばれる言語で
ゲームを作り、それをパソコン部内で流行らせたりも
しました。

要するに、いろいろやってみたら自分の好きなものが
わかって、それを広げていったというわけです。

好きこそものの上手なれ、という言葉どおりに進んできたというわけです。

あなたの「好き」はなんでしょうか?

それを10代のころの「好き」からさらに広げて、

「これだったら好きで続けられるかもしれない」

というのを、実際やってみてほしいのです。

難しいと思ったものが意外に続いてもっと好きになったりする
ことがあったりするものです。

 

ということで、あなたの充実した人生は「やりたいこと」を見つける
ことから始まります。

ぜひ「やりたいこと」を見つけてください。

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