広告が俺達に車や服を買わせようとする。 そして俺達は嫌いな仕事をして、それを買う努力をする。

どうも、新田です。

僕は映画「ファイトクラブ」が好きなんですが、なぜ好きなのかというと、
あの映画が全体を通して

「広告やエンタメ、社会通念に踊らされて自分の本質を出せないまま
縮こまって人生を終えるより、犯罪でもいいから大きなことをして人生を満足させて全うしろ」

というメッセージがあると感じるからです。

ファイトクラブ 名言(吹き替え比較動画) – YouTube

もう名言がありすぎて記事の中におさまらないんですが、
少し紹介しましょう。

 

「いつか必ず死ぬって事を恐れず心にたたき込め!
すべてを失って真の自由を得る」

「我々は消費者だ。
ライフスタイルに仕える奴隷。
殺人も犯罪も貧困も誰も気にしない。
それよりアイドル、テレビ、ダイエット、毛生え薬、インポ薬にガーデニング…。
何がガーデニングだ!タイタニックと一緒に海に沈めばいいんだ!」

「なんでもできる自由が手に入るのは、すべてを失ってからだ」

「仕事の中身でお前は決まらない。
預金残高とも関係ない。
持ってる車も関係ない。
財布の中身も関係ない。
クソみたいなファッションも関係ない」

「文明生活の基本的な前提を拒否しろ。
特に物を持つことの重要性を拒否しろ」

「知識はクソだ。
知ってることは忘れなきゃならない。
それが、お前の問題だ。
人生の知識なんて捨てろ。
友人の記憶も捨てろ。
特に俺とお前の記憶を捨てろ」

「どん底に落ちるってのは、週末のレジャーなんかじゃない。
クソなセミナーでもない。
すべてをコントロールしようとするのを止めて、手放すんだ!手放せ!」

「宇宙に打ち上げられた最初のサルと同じさ。
痛みがなく、犠牲もなければ、何も得られない」

 

「広告が俺達に車や服を買わせようとする。
そして俺達は嫌いな仕事をして、それを買う努力をする。

俺たちは目的も居場所も無い歴史の中継地点にいる。
第一次世界大戦もなければ、世界大恐慌もない。 
しかし、頭の中は常にゴチャゴチャ戦争中で、実際の生活はカツカツ、大恐慌並みに苦しい。

俺たちは、アメリカンドリームを映し出すテレビを観て育った。
いつかはこうなれると教えられた。
しかし、俺たちはゆっくりと、そうではないと学ぶ。
それに対して今俺たちは怒っているんだ」

「お前がこの文を読んでいるんだったら警告しよう。
この文を読んでいる間にお前の時間は一秒一秒使われている。

他にすることがないのか?
他にすることが無いほどお前の人生は空っぽなのか?
それとも読んで感動して感銘でも受けちゃいましたか?
(世の中がお勧めする)読むべき文を読んで、考えるべきコトを考え、買うべきモノを買ったか?

外へ出ろ。
他人と接触しろ。
浪費や自慰行為なんてヤメちまえ。

仕事を辞めて、戦え。
お前が生きていることを証明しろ。
自分は一人の人間だと証明しないと、お前は只の統計の一部だ。
警告したぞ」

●メディアの作り出した流れに流されない生き方

 

僕らは消費社会の中に生き、新しい商品や流行に流され、
サラリーマンというアリの軍隊の中で生き、
人生を消費しきって死んでいく。

「自分という個」を失って、ただただ流されるま、ネットのゴシップを監視し、
おすすめの商品を買い、洗脳を前提とした文章に従ってセミナーに参加する。

世の中が「洗脳合戦」であることは言うまでもないことですが、
それを知っているか知らないかでは、人生の質が大幅に変わってきます。

なんでも人のせいにして、禁煙セミナーに出たのにタバコをやめられなかったのは
講師のあなたのせいだと言ったりするのは、自分で自分の人生を生きていないことを意味します。

僕らの人生はすべて僕らの選択であり、なにもしないことを選んだこと、
間違ったとしても選択したこと、ただ流されるまま黙っていたこと、
そういうことですらも、自分の選択なのです。

間違ったから、損したからと、その責任を追求したり、匿名掲示板に書き込むことに
時間を費やすほど、人生に無駄な時間はないはずです。

社会の流れとは別に、自分という個を維持できているか?

自分がなにをしたいのか、把握しているか?

自分がしたいことは、メディアに流された結果のことなのではなく、自分で選び取ったものか?

自分の気持ちを感じ、触発されたものなのか?

自分がほんとうにしたいことをしながら生きているか?

ほんとうにしたいことをするために生きているのか?

そうであるなら、自分で自分に気づいているし、自分の人生を自分で選び取っているのだと、僕は思います。

●自分がほんとうにしたいことはなにか?

 

ある程度、世の中の流れを見る、世の中の流れに沿ってみるのは情報社会の中にいる手前、
必要なことですが、その消費だけに日々を使っていたら、やばいと言えるでしょう。

知り合いにライブ配信の女性配信者にハマり、生活の中心にし、毎日ずっとそれを見ている人がいます。

赤の他人の一挙手一投足の変化を眺め、課金し、時間を大量に使っています。

それは、自由です。

どういうふうに人生を使おうが、自由です。

しかし、それはほんとうに自分が生きたい人生なのか?

将来を見据えているのか?

狭い領域でしか生きていないのではないか?

自分の可能性を殺しているのではないか?

もっと満足のいく人生があるのではないか?

さまざまな疑問が浮かんできます。

僕もライブ配信にハマっていたことがありますから、
人のことをとやかくいう立場にありません。

ただ、「自分がほんとうにしたいことはなにか?」を考えたとき、
それは「自分で自分の舵を切ること」ですし、
「自分で価値を作り出すこと」だと思うわけです。

●人生で一番重要な質問

 

誰しも「理想の自分」「理想の生活」「理想の人生」があります。

その中に、なにが必要なのか?

なにが必要でないのか?

ここで、「人生で一番重要な質問」というものを紹介したいと思います。

これに答えることで、あなたは自分の存在意義を再確認することができると思います。

1・私の人生は何のためにあるか?
2・私は何をやるべきか?
3・なぜ私はここにいるのか?
4・私は誰なのか?

ぜひ、答えてみてください。

 

それではまた次回!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です